我々の結論「劣化」

秋頃友達三人と呑みに行った時の話。友達の内訳は・・・一人は市内に何店舗も出店するスーパーの取締役。一人は定職にはつかずにネットで何かをやってみたり(何かは不明だが)たくさんの免許を持っているので方々に手伝いに出かけたりしている自由人。一人は長距離トラックの運転手。そして僕。
呑みだして間もなく取締役が言った「最近ホリエモンが面白い」と。「彼の発言がすごい」とも。そしたらすぐに自由人が反応した「俺も前から注目してた。あいつはすげぇよ」と。そして僕も告白した「今ちょうどホリエモンの本読んでて3冊目なんだ」。長距離運転手だけがポカンとしていた。多分彼にはホリエモンのイメージとしては、ワイドショーを賑わせていた頃のイメージしかなかったのだろうと思う。金の亡者とか、生意気な感じの嫌な奴的な、そういうイメージを持っている人はまだかなりいるんだと思う。
まあ、それで盛り上がったわけであるけれども、その中でも議論になったワードがあって、もちろんホリエモンが言ったものであるが・・・それは、

「去年と同じっていうことは去年と同じっていうことではない」

というものだった。村上春樹の「説明しなければ分からないということは説明してもわからないということだ」を思い出してしまう、まるで禅問答のようだ。そしてさらにホリエモンはこのように続ける。

「去年と同じっていうことは劣化しているっていうことだ」

「劣化」とはまさに強烈。せめて「退化」にして欲しかったが、「劣化」というところがホリエモンならではの真実を指し示すものだと思う(ただしこの言葉も私の記憶の中の言葉で、少々間違っているかもしれません)。

我々の結論としては、例えば一年前とまったく同じだけの仕事が出来たとして(新たに覚えたりやれるようになったりしたことはないが、やれなくなったことも速度等の衰えもない)それはその仕事において一年前とまったく同じ自分であり、進化も退化もない変わりない自分であると言えたがしかし、その一年の間に社会は進んでおり、世間は進んでおり、同僚は進んでおり、先輩は進んでおり、後輩は進んでおり、同業他社は進んでおり、友達は進んでおり、恋人は進んでおり、息子たちは進んでおり、時間は進んでいるわけで、そこに属している自分だけが進んでいなければそれは退化していると言えると至った。それは劣ってしまっていると、つまりは社会から、世間から、劣化してしまったと。

ただし、我々がこのワードを議論の題材としたのは、これをホリエモンが言ったことが不思議だ(彼の主義的にということだった)と言った友達と、ホリエモンらしいと言った友達があったからだ。

深夜我々は締めのラーメンを啜って家路についた。僕は頭の中で何度もこの言葉を啜っていた。