辰吉丈一郎が負けた夜

辰吉丈一郎は今も現役だ。だが、たいていの人はもう忘れ去ってしまっているのではないだろうか。ああ、いたな、くらいのものではないだろうか。一時代を築いたというよりも、一世を風靡したと言った方が的確かもしれない、辰吉というボクサー。戦績だけを見れば、彼がなぜあれほどまでの人気を誇ったのか、今のボクシングファンには分からないだろう。記録よりも記憶に残るボクサー。野球で言えば長嶋みたいな感じだと思う。成績はあきらかに王の方が上。けれどもやっぱり長嶋、みたいな。
タイトル初奪取の時の辰吉は、確かに強かった。その後、目の病気もあり、思うようにはボクシングロードを歩めなかった不幸もある。それでも、何度もタイトルを奪取。そして、何度も敗北。そして、今も現役・・・・・。
バキの作者が言っている。「辰吉は才能に溢れていた。だが彼からハングリーさを感じたことは一度もない」。
松本一志が言っている「薬師寺戦に関しては、薬師寺の方がハングリーだったと思う」。
男親に育てられ、貧乏な子供時代を過ごした辰吉。ハングリーの代名詞的に言われた男を、二つの才能は前記のように述べている。松本に関しては、第一回のダウンタウンデラックスのゲストだった辰吉に直接言っている。彼らの意見は的確だと思う。
僕は辰吉のファンだ。僕の友達は大抵が彼のファンで、僕らの話題には当時、ちょくちょく彼の名前が出た。
辰吉が負けたある夜のことを思い出す。
テレビ中継を見終えると僕の下に訪問者。辰吉ファンの友達で、辰吉敗戦のショックで、とても一人で家にいることができず、遊びに来たとのこと。僕らはひとしきり試合のことを話すと、ドライブに出た。あてもなく走りながら、ため息が何度も漏れ、また少し試合の話。その友達は辰吉の引退ばかりを心配していた。まだ帰りたくないと言うので、本屋の駐車場に車を止めて、星空を見上げながら話をしていた。そうした時、僕の携帯が鳴り、相手はこれまた辰吉ファンの友達。彼は長距離トラックの運転手をやっていて、今は神奈川にいるとのことだったが辰吉敗戦のニュースに仕事をやる気がなくなったと電話を寄こしたのだった。そして隣の友達と同じように「これで引退だろうな」と心配の言葉。皆、辰吉が引退すると思っていた。けれども、僕には分かっていた。辰吉が絶対引退なんかしないことが。僕だったら引退しない、だから辰吉も引退するはずがないと。
あの時の友達二人に教えてあげれば信じるかな、辰吉今も現役ですよ。

と、まぁこのように僕らはみんな、辰吉丈一郎のファンでした。