2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

所詮、自己満足の人生だ

僕の兄貴もブログをやっている。一昨年の12月からやっていて、なんと昨年の3月11日の大震災当日以外は毎日更新している。しかもこのブログ、ある種類に属しいて、その部門のブログランキング1位の座にずっとついている。全国で400を越える参加者の…

もう一人の友達の死

彼はスポーツ万能だった。足は速かったし、野球ではエース、ドッチボールをやってもバスケットボールをやっても何をやっても飛びぬけていた。頭もよかった。特に算数が得意で、6回のテストで100点を4回も取り、自慢げだった。将棋も強かった。将棋は僕…

22才、友達の死

22才の時、東京にいる友達が死んだ。 初めに、木曜日だったと思うが、地元の友達から電話が来た。「OOOが突然倒れて植物人間になったって」。その後すぐに友達が、僕の家に集まりだした。7、8人は集まったと思う。よく聞けば植物人間ではなく、倒れ意…

右を見れば人生、左を見れば生活

遠藤周作が生死が半々の入院をした時(死の方で8:2だったか?)、ベットの上で人生のことばかりを考えたという。それまではと言うと、生活を生きてきたんだなぁと、そういう意味で。 人は生活ばかりを生きて、人生を蔑ろにしがちだ。そうか、そうだなぁと…

僕は人生において未練というものを重要視している

寺山修二は二十歳の時、ネフローゼで入院生活を余儀なくされた。入院中も創作活動を精力的に続けていたという。彼はまさに天才だった。寺山修二が天才でなくて、一体誰が天才であろう。時代が彼に引っ張られた。時代は寺山に引っ張られながらも、そのラジカ…

超多忙酒屋物語は続く・・・・

この酒屋は昔は小さな店だったとのこと。社長の父親がかなり頑張って大きくしたらしい。社長の父を、僕らはじっちゃんと呼んでいて、この時まだ健在で、隠居の身となっていたが、それでも時々店のやり方に口を出したし、大切なことは社長も相談しているよう…

超多忙酒屋物語

十九才の終わりにディスカウントの酒屋に就職した。仕事は忙しく、色々と不満だらけだったが、仕事自体は面白かった。ただ休みは少なく、年間で大体五十日ないかなぁってとこ。けれども社長は、年間休日数なんとゼロ。当時で小学二年生と保育園の年長の子供…

K−1の始まり

1993年5月30日代々木第二体育館で第一回のKー1グランプリが開催された(日付場所等僕の記憶であるため間違っているかもしれない、もちろん)。Fー1のように世界的なメジャー競技にしたいという願いが込められ、空手、キックボクシング、カンフー、…

切腹で本当は何を切ろうとしたのか

このブログは僕の記憶だけで書かれており、正確ではない部分もあるかもしれない。調べればすぐに分かる詳細も、調べずに記憶のままに書いている。今日は三島事件について、少し語ってみたいと思う。もちろん正確ではないかもしれない・・・・僕の記憶の中の…

父のストレンジ語録

僕の父は少し変わっているかもしれない。 僕が小学三年生の時、三島由紀夫の自決の話をして「三島由紀夫は天才だ。」と絶賛していた。切腹から介錯までを九才の子供に、結構リアルに説明した。 小学五年生の時遊びに来た友達に、「芦原英幸はケンカ十段だけ…

凄い姪っ子と運動オンチの僕

今日は遅ればせながら次男の誕生会をやった。僕の実家から僕の母、祖母、兄嫁、姪っ子三人、嫁の実家から嫁の父、母、祖母と参加、賑やかな誕生会となった。僕の実家は九人家族と大家族だ。僕が子供の頃には僕の家は五人家族で、当時としては少し少ないかな…

「オリジナル」って重要だと思う

完全に忘れていた、記憶から欠落していたことを思い出した。 そう言えば僕は二十歳の頃、まったく見ず知らずの女の子に手紙を書いたことがあった。話の筋はこうだ。僕が山田かまちの本を持っている事を知っている友達が、「あのさぁ、俺の妹のクラスの子で山…

山田かまちの音楽

山田かまちは十七歳の夏に、家でエレキギターを弾いていて感電死した。誰もいない家で、爆音でギターを弾いていたのか、汗だくのTシャツは脱ぎ捨てられ、上半身は裸だったという。 かまちの死後、ベットの下から20冊ほどのノートが発見された。そこにはビ…

ぼんやりとした不安と「6」

朝のラジオで鈴木杏樹が芥川龍之介について喋っていた。そしてその1時間後、今度は武田鉄也が芥川について喋っていた。・・・・今日は芥川龍之介の何かか?、と思いながら・・・・少し芥川について。 日本の小説家で天才的な人物を3人挙げろと言われたら、…

勇者ゴコロをくすぐられて

DSのドラクエ9を買った。ドラクエをやるのはいつ以来だろう。小学四年生位の時だっかな、ドラクエの元祖が発売された。友達の家で友達がやっているのを見ていてそれだけで興奮した。銅の剣を買った時は興奮はマックスに達した。ドラクエ3はそれはもう面…

立嶋篤史という生き方

僕が高校生の頃、格闘技ムーブメントがすぐそこまで来ていて、もう爆発寸前だった。WOWOWでは月一のペースでリングスが放送され、空手界を席巻していた正道会館がそこに乗り込んで来て、夢のような対戦が次々と実現した。K−1が本格的に始まるともう勢…

突然にカーラジオから流れてくる

仕事柄毎日カーラジオを聞いているが、今日流れて来た音楽にはちょっとぶっ飛んだ。マジカッコ良かったし、スゲェ〜良かった。モッズの初期に似ているなと思いながら、あの頃のロックンロールだろうと思って聞いていたが、2月に発売された新曲であるという…

ロックは血の中に

僕の車、嫁の車では、常にクロマニヨンズのエースロッカーが流れていて、三歳の長男が大分覚えてしまったようだ。昨日実家に長男と車で向かったのだが、二人でずっと大合唱だった。特にシャイニングがお気に入りのようで、シャイニンの歌、と言っているのを…

長男、3DSを買う

今日も五時過ぎに起き雪投げ、その後休日出社昼まで仕事で、帰宅後今度は屋根の雪下ろし、大体三時前には屋根を下りた。それにしてもすごい雪だった。がちがちに凍っていて固くて手こずった。明日は休みだ。 四時頃、なんとなく気が向いて長男が前から欲しが…

次男の名前

今日は次男坊の1才の誕生日だ・・・・がその次男坊は風邪で熱を上げダウンしてしまった。熱は40度に達しているが、幸いインフルエンザではないらしい。次男は熱に弱いらしく一度上がるとすぐに高熱になるし、なかなか下がってくれない。ぐったりしている…

僕の町のマンガ家

巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスク、空手バカ一代、柔道一直線、愛と誠、プロレススーパースター列伝、四角いジャングル、これらのマンガの原作者はいずれも同じ、梶原一騎だ(あしたのジョーの高森朝雄は梶原のこと)。まさに天才、といった感じで…

サルトルなら国民栄誉賞ももちろん拒否した

何年か前のキャッチコピーで 「世の中には前田日明がたりない」 というのが新聞か何かに載った。 まさにその頃を表現する見事な一言だった。確かターザン山本もこのキャッチコピーを絶賛していたような・・・?。 これは大きく分けて二つを指していた。 一つ…

高校生最後の夏休み

僕が高校生の頃、ある男の登場によりキックボクシングが少しずつ人気を取り戻していた。その昔沢村忠の時代にはキックの人気はもの凄く、ゴールデンでテレビ放映され視聴率もかなりのものだったと言うが、その後はまさにマイナースポーツそのものとなってい…

ファイトマネーはいくら貰おうか

僕が盛りボクシングを見ていた頃の話で今は大分違ってきているのかもしれないが、当時ボクシングの日本チャンピオンのファイトマネーが1試合40万位だったと思う。人気がある日本チャンピオンだと200万位まで一気に上がり、このようにその選手の人気がフ…

そして史上最強は誰か

その昔ボクシングのヘビー級チャンピオンが、世界最強の代名詞だった。けれども今ではボクシングのチャンピオンを最強と言う人はいない。 ヒョードルの全盛期を最強と言う人が多いかもしれない。僕もそれを簡単には否定できない。ヒョードルの試合は面白かっ…

格闘技の流れは速過ぎて

僕が高校生の頃、船木誠勝と鈴木みのるが中心となり、パンクラスというプロレス団体が旗揚げされた。パンクラスとは従来のプロレスとは違い、格闘技色の強いいわゆるU系の団体だった。プロレスラーは普通は筋肉ムキムキで体重もできるだけ多くしようとする…

大雪との格闘・・・人は負けない

今日も秋田は雪が降っている。テレビでも毎日、記録的豪雪を報道している。テレビでは雪かきと言っているが、僕の町では雪投げという。僕も毎日雪投げをしているが、これは本当にきつい仕事だ。毎日早朝から多い時で50分、少ない時で30分ほど雪投げをす…

「Some one like you」はラブソングか?

エコーズの歌に「Someonelikeyou」という歌がある。 「忘れてしまう前に思い出してほしい、とてもうまくやってた頃を」という歌いだしで始まる、疎遠になってしまった友達への想いを歌った歌だ・・・・と思っていたが、どうやらこれが別れた女…

本の扉を押した日

僕が本読むようになったのは、高校生になってからだ。小学生の時は読書なんて考えられなかったし(本を読む同級生を変な奴と思っていた)、中学生の時も一冊も読んでいないはず。高校に入学してからほんの少し、いわゆるタレント本というやつを読むようにな…