思い出すあの人の笑顔には確かな体温がある

協力会社の所長が亡くなった。45歳という若さだった。四日ほど前に電話で話したばかりだった。電話口の彼は、普段通り元気で、今ではもうこの世にいないなんてチョット信じられない。
十日ほど前には、無理を言っていきなりのチャーター依頼を了承して貰っていた。「仕方がないなぁ」という彼に、僕は「すいません、助かります」と感謝の言葉を述べた(その時も電話ではあったが)。こちらがお願いをすれば、無理を引き受けてくれた。人柄だったと思う。
あそこに(会社)行けばあの所長さんが必ずいたのに、もうあそこに行っても所長さんは絶対にいないのか。それはどうやら現実らしい。でも、やっぱ信じられない。一つのささやかな、ドッキリにでもハマっているみたい、まるで。
輪廻転生という考え方がある。魂は生まれ変わると言う、宗教の教えだ。僕はこれにたくさんの矛盾を感じるけれど、高尚な宗教家にでも出会えれば、僕なんか簡単に納得してしまえるような教えを説いてくれるのかもしれない。どうか、教えを説いて欲しい。
人生なんて線香花火のようなものなのかもしれない。火をつけた瞬間生まれ落ちて、パチパチと生きて、ポトリと落ちて終わる。暗くなって、静まり返って、まるで何事もなかったかのように、ただそれだけ。残酷なほどに何もない。無機質な生と死。それが当たり前という残酷さ。でも・・・もうチョット柔らかい感じかな。僕は、もうチョット柔らかくあると言いたい。・・・・・なぜなら、亡くなったたくさんの人たちの笑顔を、僕は今でも思い出すことができるから。その笑顔には今も体温があるから。