福永武彦ほどの人物を

福永武彦という作家を知っている人は、今の世の中に一体どれくらいいるのだろうか。・・・・多分ほとんどいないと思う。例えば僕の中学時代の同級生、120人ほどいたが一体何人福永武彦のことを知っているだろう。多分僕一人ではないだろうか。読書好きの人も確かに数名あった。だが、多分彼らも知らない。大学の文学部にでも通っていなければ、知るのは難しいかも知れない。
そんなに無名な人なの?、いや、そんなことはない。ただ過去の文人であり、三島や太宰のようには名がない、というそんな感じか。ツーランクからスリーランクほど、名がないか。
だからと言って、彼の作品が三島や太宰に劣っているとは、僕には思えない。僕は福永武彦の作品が堪らなく大好きだ。
僕は、自分が詩を書いていたノートの表紙に、誰かの文章を書いたのは福永武彦の文章以外にない。彼の文章があまりにも熱情的で、そして勇気と覚悟を含んでいて、思わず詩のノートの表紙に書き写してしまった。それが次に一文。

 愛することは信じることだ。いまを悔いなく生きることだ。不安がなん だろう。死がなんだろう。この魂の静けさ。この浄福。この音楽。この 月光・・・・・。

僕はこの一文に勇気を貰い、たくさんの大切なものを手にすることが出来た。彼のことを知る人がもっと増えてくれたら嬉しい。多分知った人こそが一番嬉しくなれるはず。
僕がまだ二十歳そこそこの頃、辻仁成のことを誰かに伝えたい時に「南果歩の旦那さん」と言うのが一番手っ取り早かったが、それは同時に寂しいことでもあった。なんでこれほどの人を、誰も知らないんだろう。三代目魚武濱田成夫にしても同じだった、「大塚寧々の旦那さん」と。これほどの人物を世界はあまり知らない。そしてその嫁さんのことは、テレビに出るからだろうが皆知っているのだ。それはやはり、少し寂しい・・・世界の仕組みが。