オンザロード82「ラストシーンへの伏線の始まり」

高校生三年生の夏休み、僕らは東京へと遊びに行った。最大の目的は東京から組まれた名古屋への「立嶋篤史観戦ツアー」参戦だったが。友達二人と僕の三人は、五日ほど東京に滞在しただろうか。当時の僕らからすればそこも東京だったが、実際に宿にしていたのは埼玉県の八潮市にあるとある宿舎だった。そこは東京足立区と千葉県三郷市との境にある、巨大都市東京から潜んでいるかのような場所だった。当時出稼ぎに行っていた僕の父が千葉県三郷市にアパートを借りていて、父が勤める会社の宿舎が僕らが宿にしていた埼玉県八潮市のそれだった。父が便宜をはかってくれたという分けだ。
僕らは初め三郷市を歩いた。小さなパチンコ屋や小さなCDショップなんかがあり、それは僕らの住む田舎とさほど変わらない街並みだった。それから少しして父登場で八潮市へ。八潮市の宿舎は、父の勤める建設会社の資材置き場と隣接しており、その資材置き場では10人ほどの人が働いているようであった。僕らはそこからバスで松戸市へ、松戸から電車で上野へ、そこから山手線で東京のあちこちへと遊びに行った。当時は八潮市から東京へとなると電車がなくとりあえずバスに乗らなければならなかった。
不便ではあったが、僕らは東京にいるというだけで堪らなく興奮していた。田舎にいていつも通りの夏休みを過ごしている友達よりも、なにか大分大人になった気分だった。ただ僕らはやはり田舎者で、新宿に行ってもボーリングなんかをして過ごしているだけだったが・・・・。宿舎近くのファミリーマートから公衆電話で、田舎の友達に電話をかけ、「俺らいま東京」みたいな、でも実際そこは埼玉だったわけで。
東京滞在の中日くらいだっただろうか、父が寿司を食べに連れて行ってくれると言い、僕らは朝から、夜が来るのを楽しみにしていた。しかし父は、晩飯時間になってもなかなか現れず、僕らは腹を空かして待つばかり。待って、待って、待って、夜も八時くらいになっていただろうか、コンビニのうどんを三つ持って現れた父に、僕らは苦笑いするしかなかった。誰もなぜ?、とは聞かなかった。ただ微妙過ぎる空気が生成されては音もなく崩れて行った。・・・・・六畳の部屋で田舎の高校生三人、言葉少なにうどんを啜ったのもまるで昨日のことのようだ。
最大の目的「立嶋篤史観戦ツアー」は、思いもよらぬ結果に唖然ともしたが、それでも盛り上がりは最高潮、良き思い出となった。名古屋から戻り数日後、僕らは東京から秋田へ、夜行バスに乗って帰った。
それから様々な経験をし、少しだけ大人になった僕は、一年と数ヶ月後、再びその地を訪れた。