久々の秋田県立近代美術館へ

職場の方がずっと一名欠員で、土曜日出勤の代休が取れない状況が続いていたが、やっと一名補充、そいつが驚異的速度で独り立ちしてくれたものだから、今日久々の平日休みと相成った。それでも二度ほど職場に顔を出したが・・・。

僕は取りあえず眼科に行き、コンタクトレンズ注文のための検査をし、コンタクトレンズを半年分購入した。その後職場へ。昨日顔を出したお客さんへ電話、メールチェックのち、色々とやって職場を離れた。

僕は美術館へ。秋田県立近代美術館では今「ジパング展」というのが行われていて僕はそれを観に。日本の若手画家や美術家の作品が集められた「ジパング展」。僕が美術館に足を運んだのは何年ぶりのことであろうか。その昔僕はここの会員で、年間パスポートで何度も訪れたものだった。久々のエスカレーターを上がる時、大きな窓から見えた青空は、僕の心を優しく包んだ。
若手とは言え、ほとんどが僕と同年代と言える人々であった。なんと、自分自身ビックリであったが、彼らの作品を観ても、僕の心は何も感じなかった。なんとなく頭の中で、その絵のメッセージを紐解いてみたりはしたが、若かりし頃のようにそこから何かを感じ取ることは出来なかった。彼らの作品は彼らが作り終えた時点で彼らの中で完結しているように思われて、僕の中に何かを生み出すことはなかった。僕は自分のその変化を、悲しく思いさえしなかった。
ただ、一番最後にあった作品に、僕は少々足を止められた。心を止められた、と言えば少々大袈裟な気がするのでやはり足を止められたのだろう。それは像で、初め金属でできていると思ったが、よく見るとそれは木でできていて少々驚いた。大きな髑髏が布を纏い、立ちつくしている。両手はなく、少し背中を反らせ胸を張っていた。僕はすぐに佐世保の白いキリストを思い出した。佐世保の街を見下ろすイエスの像。顔は髑髏であり、両手はなかったが、その体のライン、そして佇まいがなぜか僕に佐世保のキリストを想起させ、僕の足を止めさせた。作家の出身地を観て少しぞっとした。出身地「長崎県」・・・佐世保かどうかまでは記されていなかったが、彼が佐世保のキリストを知っている事はまず間違いないだろう。それが与えた影響までは、僕には測りかねるが。

その後本屋へ、すき家で牛丼食って、銀行に立ち寄り、そして温泉に入った。テラスハウスを録画したものを観て、職場に電話、仕事関係の電話を5本ほどした後、今こうしてパソコンと向かい合っている。多分このあとビールを呑むと思う。