ひからびた世代

アーネスト・へミングウウェイやスコット・フィッツジェラルドは自分たちのことをロストジェネレーション、失われた世代と言った。世界大戦後の時であり、物も人も、心の中のたくさんの大切なものも、失われた、そういった世代だった。
これに対して、その少し後の世代、アレン・ギンズバークやジャック・ケルアックウイリアム・バロウズらは自分たちのことをビートジェネレーションと言った。直訳すればビートは、打つとなるが、うちひしがれた世代、という意味だ。ビートジェネレーションとパンクムーブメントの匂いが、なんとなく被ると感じるのは僕だけだろうか。そう言えば、BOOWYのファンクラブの名前が、ビートニクスだったとか。ビートニクスとはうちひしがれた世代の、その人のことだ。
辻仁成が、じゃあ自分はどんな世代だろうと考えた時、自分たちは生まれるのが遅すぎた世代だと言っていた。何をやっても模倣になってしまう。新しいことなんて何一つないんだ、だったかな?
じゃあ僕達はどんな世代だろう、と二十歳の僕も考えた。渇きに渇いて、干せてしまっているのに水はどこにも見当たらない、水の存在に気付いていない、水を求めてさえいない、僕達は明らかにひからびた世代だった。どこに行っても渇いてしまう。すぐに行き詰って渇きあがる。出口なんてなかった。僕が21歳の時に作った歌詞だ。

「ひからびた世代」

渇ききったこの街で退屈に慣れていき
あの頃を語りだした僕達は大人になる

燃えていたあの夢は永遠のはずだったのに
いつからか消えていた僕達は普通になる

ノドが渇いて 水もない
退屈をしのぐものない

どうすればいいこの僕達は
生き損ねているひからびた世代

雨が降って目が覚めた 取り戻せないことはない
悪魔の笑顔で太陽が顔を出す
早々と蒸発していく雨たちにうなずけない

愛も夢も 真実も
恋人も友達も
思い出も 希望さえも
渇いていったひからびた世代

ヒカラビタセダイ・・・・・

気付いて欲しい・・・・