「オリジナル」って重要だと思う

完全に忘れていた、記憶から欠落していたことを思い出した。
そう言えば僕は二十歳の頃、まったく見ず知らずの女の子に手紙を書いたことがあった。話の筋はこうだ。僕が山田かまちの本を持っている事を知っている友達が、「あのさぁ、俺の妹のクラスの子で山田かまちの感想文書いて、なんか知らないんだけど賞もらったんだって。それで山田かまち記念館にも招待されたとか行って来たとか」と言って来た。もちろん僕の性格を知ってて言って来たことだ。すぐに僕は手紙を書いてその友達に渡し、その友達は妹に渡し、その友達の妹はその手紙を高校へと持って行きクラスのかまち式女の子に渡すこととなった、僕の行動は僕の友達が思う通り早かった。そしてすぐに返事が来た。「かまちを好きな人が身近にいてうれしい」といったとても好意的な内容の手紙だった。「また手紙をください」とも。僕はしばらく返事を出さなかった。そしてそのまま東京に旅立った。

山田かまちは自分の名前を気に入っていた。「かまち」、随分と変わった名前である事は間違いない。珍妙とも言えるくらいだ。けれどもかまちは、自分の名前が大好きだった。
小学三年生の頃だったか、自分の名前の由来を親に聞いてくる、といったどこの学校でも必ず一度は出題される宿題が出された。かまちは家に帰ると、親の帰りを待って名前の由来を訊ねた。父が言うにギリシャ神話の英雄の名前から取ったとのこと。自分の名前、しかもとても気に入っている自分の名前が、神話の英雄の名前と同じと聞いて、普通ならばますます喜ぶものだろう。しかし、かまちはガッカリとする。なぜガッカリしたか。自分の名前が「オリジナル」でなかったことにガッカリとしたのだ。・・・・小学三年生程度で、この感性って素晴らしいと思う。「オリジナル」ではないことにガッカリする感性。

僕は今よりも大分若い頃、ファッションを軽視していた。
何気なく手にしたファッション雑誌のインタビューで、タレントのふかわりょうが「ファッションって重要だと思う」と述べていた。なんか分からないけど妙に説得力があって、「ああ、そうかも知れない」と僕は思った。