山田かまちの音楽

山田かまちは十七歳の夏に、家でエレキギターを弾いていて感電死した。誰もいない家で、爆音でギターを弾いていたのか、汗だくのTシャツは脱ぎ捨てられ、上半身は裸だったという。
かまちの死後、ベットの下から20冊ほどのノートが発見された。そこにはビッシリと、詩や散文や絵などが書き込まれていた。死後発見された、となっているが、両親はこのノートの存在を知っていたと思う。親って多分そういうものだと思う。
かまちには自殺説があるが、僕はかまちは絶対に自殺じゃないと思っている。詩を読めば分かる。彼はとても生きることが好きだった。悩み苦しみ傷ついてもいるが、それでも希望と夢が彼の未来を占めていたと思う。
だが人は「ぼんやりとした不安」だけでも簡単に死んでしまえるものだ。枡野浩一の短歌に、「先立った、わが子の遺書を売る親よ、OOOOOは自殺じゃないか?」というのがある。OOOOOの部分ってかまちのことだよね?

かまちは、伝説のバンド「BOOWY」のメンバー氷室と松井と幼稚園の頃からの同級生で、怪獣ゴッコでよく遊んでいたという。中学生の頃には三人とも音楽に目覚め、ミュージシャンを目指し始めたんじゃないかな。けれどもかまちは優等生で(両親ともに学校の先生ということもあり)、氷室と松井はその真逆の生徒で、少しずつ距離が開いていったんじゃないかと推測する。少しの距離はいずれ決定的となり、両者はまったく別の道を歩き出すが、かまちは多分氷室達のことを羨ましかったと思う。羨ましいが、結局自分はそのようにできないことを知っていた。
そして優等生かまちは、高校受験に失敗し浪人する。かまちはどれだけ傷ついただろう。バンドも始められずに、勉強もうまく行かずに。

「十七歳のポケット」の文庫本のあとがきを、辻仁成が書いている。かまちと一緒にバンドがやりたかったと書いていた。かまちと辻のバンド、観てみたかった。
山田かまちの音楽とはどういったものだったのか。誰からも愛される音楽、とかまちは言った。どこにもない新しい音楽とも。
タイムスリップランデブーの「ドントゥフォーゲットミー」を聞いた時、何故だかかまちのことを思い出した。