父のストレンジ語録

僕の父は少し変わっているかもしれない。
僕が小学三年生の時、三島由紀夫の自決の話をして「三島由紀夫は天才だ。」と絶賛していた。切腹から介錯までを九才の子供に、結構リアルに説明した。
小学五年生の時遊びに来た友達に、「芦原英幸はケンカ十段だけどOOO(僕の名前)の父さんはケンカ十五段だ」とまじめに言っていた。十一才の僕の友達も苦笑いしていた。
僕が小学三年生位の時だろうか、五つ年上の兄貴と二人父に呼び出され座らせられた。少々酒の入っていた父が何を言い出すのかと思ったら、人を殺す技を教えると言う。身振り手振りで急にやりだし、一通りやり終えると「自分が殺される、やらなきゃ殺されるっていう時しか使っちゃダメだ」と言った。兄貴が何と思って聞いていたのかは分からないが、当時の僕は「やばい俺最強だ。間違って使わないようにしなければ」と真剣に思った。大人が言うことは子供にとって結構威力があるものだが、その時父が教えてくれた技を今思い返してみると、ただの平拳で人中をアッパーぎみに突くというものでなんか普通すぎて笑えてくる。そんなんで、子供の力では人は死なねぇしって感じかな。
これも酒を飲んで帰って来た日の話。中学三年生の兄が呼び出され、その隣に僕も座った。「いいか、よく聞け。俺の親父、お前たちにすればじっちゃんだけど四十九才で死んでいる。俺の家の家系は男は短命だ。俺も今三十五才だけどそんなにもう長くはない。五十までは生きられないと思う。OOO(兄貴の名前)、お前も長生きは出来ない。そういう家系だ。そのつもりでいれ。」。真剣に語る大人の言葉に、兄貴も自分の人生を想い怖くなったかもしれない(実際兄貴がどう思ったかは知らない)。
あれから二十五年以上の時が流れ、けれども父は元気に生きている。どっちかって言うと、ピンピンしている。