超多忙酒屋物語

十九才の終わりにディスカウントの酒屋に就職した。仕事は忙しく、色々と不満だらけだったが、仕事自体は面白かった。ただ休みは少なく、年間で大体五十日ないかなぁってとこ。けれども社長は、年間休日数なんとゼロ。当時で小学二年生と保育園の年長の子供がいたが、これもなんと、生まれてから一度もどこにも遊びに連れて行ったことがないとのこと。それを聞いて僕はビッ〜〜クリした。それで従業員一同から、子供を連れて一度遊びに行ったら、みたいな話になり、社長はしぶしぶぎみに、じゃ行って見るかと、でも確か日帰りだったかなぁ。それで帰ってから話を聞けば、「海の方に行ったんだけど、車で走ってて遠くに海見えたら、魚だ、魚が泳いでるって、見えるわけないのに海には魚がいるって教えられてたんだろうな、もう喜んじゃって」とのこと。そうか、海も初めて見たんだなぁ、と僕はしみじみビックリ。あの子たちも今では社会に出る頃かな。

「誰誰に似てる」と二度も言われれば、まあ大体の人はその気になるだろう。けれどもこの頃、僕は毎日最低二度はイチローに似ていると言われた。毎日毎日、店に来る客に、多い時はもう五、六回は言われたんじゃないだろうか。客以外にも、どこに行っても言われたが・・・・別にそれだけの話です。

この酒屋から、週に三回バンド練習に向かった。仕事は六時半から遅くても七時半には終わる。途中スーパーに寄って軽く食いものを買って、マッハ50でそれを食って、練習に勤しんだ。酒屋の頃を思い出せば、セットでバンド練習も思い出す。

この頃とにかく眠かった。まだ若かったし、遊びたい盛りに夢もたくさんあって、遊んで、夢見て、努力して、仕事して、ほとんど寝ずに出勤することも頻繁だった。いつも眠そうにしている僕が社長に言われた一言で、今でも僕の中で一つの在り方の基盤となっている言葉がある。その日も僕が眠そうにしていると
「みんな、眠いんだ。眠くない奴なんていない。お前ばかりじゃなくてみんな眠いんだ」と。僕はとても間違っていたかな、と。その言葉はそのまま、疲れとか、辛いとか、にも当て嵌まった。

一日50万の売り上げならば、店はかなり暇だった。これが80万となると結構忙しくなる。120万ならばもう休む暇がない。広告が入った日曜となると200万。高校生のバイトが5人来ても息もつけないほどの忙しさとなる。で、お盆前日の8月12日がマックスに忙しいのだが、なんと売り上げが1000万を越えたことがある。もうみんな死んでいた。従業員もアルバイトも、みんな言葉を発しなくなり廃人のようだった。廃人が10人いる酒屋となった。

配達にも行くのだが、スナックなどは鍵を預かっていて、日中勝手に入って勝手に置いてくる。昼間のスナックは少し不気味だ。羽をむしり取られた鳥を燻製にしたような雰囲気だった。

わずか1年3カ月の期間であったが、本当に色々なことがあった。ここで社会の仕組みを基本的には学んだと思う。今度久々に、ビールでも買いに行ってみようかなと思う。