僕は人生において未練というものを重要視している

寺山修二は二十歳の時、ネフローゼで入院生活を余儀なくされた。入院中も創作活動を精力的に続けていたという。彼はまさに天才だった。寺山修二が天才でなくて、一体誰が天才であろう。時代が彼に引っ張られた。時代は寺山に引っ張られながらも、そのラジカルな芸術を批判もした。新しいことを始めると、保守派からは、あるいはイニシアティブを握っているものからは批判されるものだ。時代が批判し、時代がまた受け入れていると言えるのかもしれない。大山倍達がフルコンの大会を始めた時、諸先生方は批判をした。けれども正道会館がグローブを付けて顔面アリの大会を始めた時には、今度は大山倍達がそれを批判した。そんなものだろう。時代は異端児によって作られる。大山も正道会館も、その時代時代の異端児だった。新しいものを作るとは、今あるものを少なからず批判することとなる。
寺山の演劇はラジカル過ぎた。チケットは地図。観客は地図を辿って街を移動する。この辺りかなと思って街の風景に目を凝らす。一般の人々が織り成す喧噪の中から、寺山の演劇が始まる。観客は、地図を頼りに次なるステージへ。寺山の演劇は街が、リアルに舞台となった。
寺山は死の直前まで演劇の指揮を取った。主治医にそれを止められても、寺山は止まらなかった。セルジュ・ゲンスブールが医者に「これ以上吸ったら死ぬよ」とタバコを禁じられ、それでも隠れながら吸い続け「穏やかなる自殺」と言ってのけたが、寺山こそがそれであったかもしれない。
「もう少しだけ生きたい」と言う寺山に、主治医がある時聞いた、「そんなに身を削りながら生きてあなたは一体何をしたいのだ」と。寺山は少し笑いながら「たくさんの女子大生を素っ裸にしてその上で寝たいんだよ」と答える。主治医がもう一度、今度は強い口調で問いただした。そしたら寺山は真面目な顔になり、一瞬の沈黙を作った後、絞り出すようにこう答えた。・・・・「この世への未練」。

未練と言えば良い意味には捉えにくい・・・・が僕はそんなことはないと思う。僕は人生において未練というものを重要視している。未練というものは自分の心の本当の声であると思う。それに耳をすますことはとても大事だ。