右を見れば人生、左を見れば生活

遠藤周作が生死が半々の入院をした時(死の方で8:2だったか?)、ベットの上で人生のことばかりを考えたという。それまではと言うと、生活を生きてきたんだなぁと、そういう意味で。
人は生活ばかりを生きて、人生を蔑ろにしがちだ。そうか、そうだなぁと。生活よりも人生のはずなのに、周りを見渡せば皆(僕も含めて)生活を重視して生きていた。
遠藤の入院時の回想を読んでからは、岐路に立ち迷った時は生活よりも人生にとってどっちが有益かで選択するようにしている。それに例え無益であろうとも、それがマイナスであろうとも、人生にとっては正しい場合がある。正しくなくても必要な場合がある。不必要であろうとも、やるべき時がある。
どっちがロックだろう、と考える時もある。どっちの選択がロックだろうと。
主人公ならばどちらを選び生きていくだろう、と考える時もある。丹波文七ならばどっちで生きていくだろうとか。

生活は人生に含まれ、また人生は生活に含まれている。まるで命ある石のように・・・・。