22才、友達の死

22才の時、東京にいる友達が死んだ。
初めに、木曜日だったと思うが、地元の友達から電話が来た。「OOOが突然倒れて植物人間になったって」。その後すぐに友達が、僕の家に集まりだした。7、8人は集まったと思う。よく聞けば植物人間ではなく、倒れ意識をなくし、もう長くは持たないとのこと。奇跡でも起こらなければ助からないと。友達の一人が「俺達で奇跡を起こすぞ」と言ったが、そんな安易さに賛同できる気分ではなかった。
翌日の金曜日の夜行バスで、東京にみんなで行こうという話になった。正直に白状するが、僕はこの時メンドクサイことになったな、と思っていた。その週は仕事が忙しく、体はかなり疲労していて、土日の連休を友達を集めてマージャンでもしながらゆっくり過ごそうと考えていたからだ。けれども、その思いをすぐに、僕の感情自体が完全否定することとなるが。
あっちに行ってからは、何度か見舞いに行っている東京在住の友達に病院まで案内してもらう手筈になっていた。夜行バスは朝の六時過ぎには東京に到着する、が「早すぎて悪いから七時半に迎えに来てくれ」とその友達には告げていた。
秋田出発の金曜日、僕は家を出る前に中学時代の担任に電話をし、事情を告げた。担任教師はバス停まで来てくれて、倒れた友達への見舞金と、僕らへの寸志としてお金を包んで来てくれた。担任教師は、友達がすぐに集まり東京までお見舞いに行くその行為に、甚く感動しているようであった。「今日久しぶりに開けた机の引き出しから、OOOの名札が出てきてビックリした」と、ちょっとミステリアスな話を残し帰って行った。
東京について、友達との待ち合わせまで時間があったので、僕らは吉野家で朝食を取った。その後案内役の友達と合流し、電車で病院を目指した。
大きな病院だった。かなりの距離を歩いて病院の入口まで辿りついたように思う。入口の所に二人の中年男性が立っていて、「OOO君の友人の方ですか」と聞いてきた。「はい、そうです」と怪訝な表情で答える僕に上司と思われる方の男性が、「OOO君は15分ほど前に亡くなられました」と告げた。
僕らの足取りは自然と速くなった。案内役の友達は病室に急ぎながらも、溢れる涙を堪えられずにいた。着いたばかりの僕達は、事態をまだよく飲み込めていなかった。病室の前では、OOOの彼女と思しき人がすすり泣いていた。少しして霊安室に通され、化粧を施されたOOOがそこに横たわっていた。父親が気丈に振る舞いながらも、一滴の涙を流したのを僕は見逃さなかった。僕はOOOに触れてみた。僕の知っているOOOは生きているはずだったが、そこに横たわるOOOは息をしておらず冷たかった。OOOは確かに死んだようだった。が、僕らはまだ劇の中にでもいて、悲しみの人を演じているだけのような、何か地に足がつかぬふわふわした時の中にいた。
OOOが成人式の二次会で、「楽しい、こんなに楽しいとは思わなかった」と喜びの言葉を連発していたのを思い出した。確かに楽しかった。でももう、OOOとは酒を飲めないんだなぁと。
東京にいる間中、OOOの生きていた時のことばかりを思い出していた。死のことなんて微塵も思いはしなかった。OOOの生ばかりを思い出し、思い出し、思い出し過ぎて、悲しくて、悲しくて、心が擦り切れ、炎症を起こし、痛かった。
僕らはOOOの死に15分だけ間に合わなかった。あるいは、生に間に合わなかったと言えるのかもしれない。僕の独断で、案内役の友達との待ち合わせを1時間遅らせた。案内してもらうのに早すぎて悪いなぁ、というのがその理由だったが、人の生き死にの時に気を使っている場合ではなかった。僕は責任を感じたが、ただOOOはカッコつけだったので僕らにベットの上の姿を見せたくなかったのかなぁとも考えたりした。

地元に墓が建てられ、僕らは皆で墓参りに行った。小さな山の上に、父親の思いのままのような大きな墓石が建てられていた。僕らは手を合わせ、冥福を祈った。・・・・あれから13年、僕はあの時から一度も墓参りに行っていない。今度久しぶりに墓参りに行きたいと思う。嫁と子供を連れて。