もう一人の友達の死

彼はスポーツ万能だった。足は速かったし、野球ではエース、ドッチボールをやってもバスケットボールをやっても何をやっても飛びぬけていた。頭もよかった。特に算数が得意で、6回のテストで100点を4回も取り、自慢げだった。将棋も強かった。将棋は僕も得意で、良い勝負だったが、僕らでも絶対に勝てぬ強い先生がいて、けれども一度二人力を合わせ挑戦し、倒したことがあった。
いわゆる僕らは親友だった。小学3年の頃から急に仲良くなり、毎日のように彼の家に、遊びに行くようになった。両親は仕事に出ていて、家にはおじいちゃんだけがおり、だから気兼ねなくか、僕らはたくさんの遊びをした。四つ離れた兄がいたが、部活で忙しかったのか、その姿を見ることはまずなかった。
彼はケンカも強かった。「OO強くてやだなぁ」と言う僕に、「OOなんか鼻さおもいっきりパンチすれば泣くよ」と彼は言った。確かに泣くと僕も思う、思うが逆に、鼻におもいっきりパンチされて泣かない小学生なんてこの世にいるんだろうか。まあ、それはいいとして。
僕らは中学に進み、仲の良いグループも出来上がり、その人数は10人ほどになった。中三の夏休みには、毎日広場に集まり受験勉強そっちのけで野球をした。僕らはみんな仲が良かった。そして高校進学。10人のメンバーは二つの高校に分かれて進学したが、彼だけが一人、市内でも一番の進学校へと上がった。
それからは少しずつと言うよりかは、一気に僕らの距離は開いた様だった。あまり良くない噂だけが、僕の耳に届いていた。
彼が死んだのは27才くらいの時だったろうか。もはや、その年齢すらも覚えていない。交通事故だった。多分スピードの出し過ぎの。けれども事故の詳細さえ分からない。死の連絡を貰い、その時初めて彼が結婚していたことを知ったくらいだ。ビックリするくらい一緒にいた友達を、恐ろしいほどに僕は知らなかった。
彼の墓は地元には建てられなかった。少し前に彼の父が亡くなっており、その少し前には祖父が亡くなっていた。そして、彼。母親は悲しみにかなり衰弱していたようで、この土地を離れ、妹の家に身を寄せたとのことだった。僕は友達二人と、墓のない彼に線香を上げるため、彼の家へと向かった。・・・・・彼の家に着いてビックリした。家はすでに取り壊され、更地となっていたからだ。彼と僕が毎日遊んだ家、彼がもういないように、それももうないのか・・・・存在し・・・・ないのか?
僕は悲しかった。彼が死んだこと、思い出の地がもうないこと、それらももちろん悲しかったが、人生の、あるいは世界のそういった仕組みがもう堪らなく悲しかった。けれども不思議と涙は出なかった。僕らは強くなってきた風の中に線香を三本立てた。