なぜ人を殺してはいけないか

平野啓一郎の「決壊」を本日午後3時頃読み終えた。読み終えての感想は、やっぱり力があるなぁと。もううならされて、うならされて、うならされ続けて、僕の中から何かが出てくるんじゃないかと思った。良介のDVDの場面では耐えられなくて目を伏せてしまいそうになったし(それは小説であるのに)、終盤の佳枝と良太のやり取りでは目頭が熱くなった。面白かったし、実に壮絶だった。一つ分からないのは、崇が一人で涙を流し後悔する場面だ。「取り返しのつかないことをしてしまった」とは何を指していたのか。その意味が出てくると思っていたが、出てこなかったような、思い当たることが二つあるにはあるが、それで合っているのか、すっきりしない。
「決壊」の中にあった、テレビ番組で中学生だったかな?「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問。カツゾーというゲストコメンテーターが(ホントはアルファベットですが)、ボールペンをナイフに見立ててその少年を刺す真似をする場面があったが、騒然とするスタジオで「自分がやられたくないことは、人にもするな」とビシッと言う。ちょっと乱暴なやり方ではあったがカツゾーが上手くまとめた的な空気になって、司会者が次へ話を進めようとする。が、その少年が語をつなぐ「自分が殺されてもいいと思っていたら、殺してもいいって言うことか。そもそも、僕が殺されたくないって思うことと、殺してはいけないっていうことと何が関係があるんだ」。
ずっと前に柳美里だったと思うが(あるいは江國香織か、川上弘美だったか?)、実際のテレビ番組で「決壊」の中の番組と同じような番組に出演した時、少年から「決壊」の中と同じ質問があり、そこにいた大人はそれに誰もうまく答えられなかったという。確かに難しい質問だ。何かを言えば、何かを指摘される、100パーセントの納得なんて不可能かもしれない。
僕ならどう答えるだろうか。もちろんうまくは答えられない(うまく答える必要もない分けだが)。僕なら・・・そうだなぁ・・・・。

(人を殺してはいけないもっともらしい理由を、君も何度も聞いたことがあるだろう。それでも君は納得出来なかったということだよね。違う話になるが少しだけ恋の話。君も好きな人がいると思う。もしくは今はいないにしても前にいたでもいいけど。その人をなぜ好きなのか。なぜ好きになったのか。もっともらしい理由はいろいろ上がると思う。顔がカワイイだとか、優しいだとか、話が合うとか、まあ色々とたくさん。けれども「だから」好きなんだろうか。「それだから」好きなんだろうか。多分違うと思う。顔が少しくらい違ったって君は彼女のことを好きだっただろう。少しくらい優しくなくったて彼女のことが好きだっただろう。極端なとこ話がまったく合わなくったって彼女のことが好きだったはずだ。そんなのは後付けされた理由であり、まずは何の理由もなく「ただただ好き」だったはず。理屈じゃなくて、言葉じゃなくて、分からなくても好きなことだけははっきりと分かったはず。・・・・人を殺してはいけないことと、人を好きになることと一緒にする気はさらさらないけど、「人を殺してはいけない」、何の理由がなくてもとりあえずそれだけははっきりとしているんだ。理由でなくて理屈じゃなくてはっきりとしていること。心の在り方のことだ。そのはっきりしている事に比べたらもっともらしい理由なんて、料理にかけ忘れたどうでもいい調味料程度のものだ。)