いつかまた「フラジャイル」を

「フラジャイル」の序文を紹介する。
  
実のところ、私は生まれることに対してあまり乗り気ではなかった・・・

1976年、梅雨の頃、私はとある田舎町に生まれた。じめじめと湿った、蛙の死骸臭い、薄暗い昼のことだった。産声は苦しさを交えて、祝福は刺々しき痛み。おめでとうの世辞と、白々しい拍手の海に溺れながら、生まれてしまった不幸を呪った。何に迷うとも時は一秒を規則的に刻み続け、私もなぜだか、そいつに遅れをとらぬように必死で呼吸をしていた。悲劇的喜劇、或いは喜劇的悲劇。生命体としての本能か。はたまた未知なる死への恐怖か。二十五歳になった今でも私は生きることをやめてはいない。
年齢を重ねるごとに、人生のなんたるかを悟っていく。希望は渇き上がり、社会的責任が重く伸し掛かる。虚無感が鬼の形相で、僅か五尺ばかりの肉体内部を暴れ回り、そいつと比例するように社会と対峙する私自身は、波風立たない人間へと惨めな変貌を遂げて行く。
どこまで落ちれば許してもらえるのか。数々の恥すべき過去に、惨たらしく打ちのめされた半死半生の私を、尊厳死が目映い光で呼んでいる。芥川龍之介は薬を飲んで死んだ。太宰治は入水自殺だった。三島由紀夫は割腹自殺で、寺山修二はゲンスブールの言うところの「穏やかなる自殺」で尊厳死を成就した。私はどうすればいいのだろう。今だ生き続けながらも、たった一つの尊厳さえも持ち合わせていない私は、希望も生きる術もなく、そして尊厳死さえも許されていないのだ。

以上が序文だ。まるで、何も始まりそうにない序文だ。まるで全てが終わってしまったかのような序文。
僕達三人はある理由から離れ離れに、「フラジャイル」は短い期間で自然消滅した。いつかまた、今度はちゃんとした「フラジャイル」を作ってみたい。