東日本大震災発生、街はドラゴンヘッドになった

東日本大震災が発生した時、僕はコンビニの駐車場にトラックを止めて、カップラーメンを食っていた。コンビニの電気がバチバチと音を立てて消え、店員達が外に飛び出してきた。トラックは横に縦に揺れ、倒れないかと心配していると嫁から電話。「すごい揺れてる、揺れが長い」と。いったん電話を切ると、もう繋がらなくなった。
その時はまだ呑気に考えていた。津波のことももちろん知らない。
遅めの昼飯を終わらせ、通常の仕事に戻った。が、お客のところでも、もう業務を終了するとのこと。その後回ったお客もほとんどが業務終了してしまっていた。会社に電話しても電話が繋がらない。信号機は消えている。日が落ちてきて、街が真っ暗になった。ガソリンスタンドでは、手動で給油している。帰りのトラックの中、不安が大きくなってきた。
会社に戻るともちろん真っ暗。一本の電灯で、倉庫を照らしながら、荷物を確認したり、伝票を確認したり。
仕事が終わりアパートに戻った。嫁は2月に子供を産んだばかりだったので、実家に戻っていた為、僕は一人だった。嫁の実家の方に行きたかったが、生憎ガソリンがEラインまで来ていた。腹が減ったが冷蔵庫には何もなく(もちろん電源が切れていたが)、仕方なく近くのコンビニまで行った、がコンビニも真っ暗。入口にロープを張り、十人くらいずつ店内に入れ、入れ替わりで買い物をさせられた。僕はカップラーメンとヨーグルトとか、すでに品数は少なかったが、買えるだけの物を買った(大福も買ったような)。それにしても異様な光景だった。真っ暗な街。信号も真っ暗。コンビニも真っ暗。街灯も真っ暗。まるでマンガ「ドラゴンヘッド」だ、と思った。ドラゴンヘッドの中に僕らは迷い込んだ。
部屋に戻ると、カっプラを食った。電気水道はダメだったが、ガスはなんとか生きていた。それでも消え入りそうな火だったが。
まだ三月、夜は寒い。僕は毛布に包まりながら、懐中電灯の灯りを頼りに焼酎の梅割りを熱くして呑み、体を温めようとしたが限界、テレビも見られないし、もう寝るしかないと布団に入った。少ししてアパートの火災報知機が鳴った。誤作動だと思うが、止め方も分からなし、どこにも連絡できない。まるで戦時中の空襲の時のサイレンみたいだな、と思いながら耳に布団をあてて眠った。この時もまだ、津波のことも、原発のことも、もちろん知らなかった。
仕事はしばらく開店休業状態となった。電話番を一人、交代で出勤しましょうと。その後の原発のニュースにはビビりまくった。日本はホントに終わったてしまうんじゃないのかと。首相が作業服を着ている姿は、不安を煽った。こいつらがウソを言っていると思えて仕方がなかった。テレビで観る映像は、映画なんかよりずっと悲惨なものだった。涙が枯れ果てるとはこういうことを言うのだろうと思った。

あれから一年が過ぎた・・・・。