英雄と殺人者の孤独

吉本隆明が亡くなった。その少し前には山口美江が。そのまた少し前には、マイクベルナルドが亡くなった。彼は自殺だった。
K−1という華やかな舞台に立ち、何万人からの声援を受け、眩しすぎるスポットライトを浴び、そして勝利の美酒に酔いしれた。街を歩けば人気者、大きな体に誰もがすぐ気付く。そんな日々は麻薬のように彼を興奮させたことだろう。時が来て引退、K-1のブームも終わり、興奮の後は虚無感がお決まり。彼は鬱になり、そして自ら命を絶った。あの頃の、ヘラクレスのごときベルナルドを知っている人からすれば信じられないの一言。ヘラクレスも、一人の部屋ではヘラクレスではいられなかったのかもしれない。
その昔の話。ベトナム戦争で、たくさんのベトナム人を打倒し、英雄になったアメリカ人がいた。彼の銃捌き、特にマシンガンを使わせたら彼の右に出るものはいなかった。彼はその戦場でたくさんの人を撃ち抜いた。大苦戦のベトナム戦争で、快進撃を続ける彼は英雄になったという分けだ。
戦争が終わり、アメリカに戻ると、たくさんの喝さいを浴びた。州より表彰され、街ではサインを求められた。英雄、まさに英雄。彼は田舎町で、ちやほやされながらのんびりと過ごす。
けれども時が過ぎるにつれ、彼はここの日々にも飽きてくる。戦場のあの緊張感溢れる日々が恋しくなる。やるかやられるか、そして敵を撃ち抜く、彼にはここの日々が堪らなく退屈に思えてくる。さらに時が経ち、彼はもう耐えられない。発狂してしまいそうだ。もう我慢できない。彼はベットから飛び起きると、押し入れにしまってあるマシンガンを取りだし、街に出て次から次へと人を撃ち倒していく。次から次へとだ。あの日々の興奮が蘇る。彼はこれで英雄になったのだ。
しかし彼は、もちろん殺人者として逮捕された。英雄は殺人者に。英雄と呼ばれた日々と同じことをしただけなのに。戦場で人を殺せば英雄、ここでは殺人者。場所が違えば、行為は180度変わる。哀れな英雄に合掌。