自由で在り続けること

真島の名曲「こんなもんじゃない」。「ブタの自由に慣れてはいけない、もっと人は自由なのだ」と唄っている。ブタは一日中自由だ。好きな時に寝て、好きなように歩き回り、食って、たれて、ブタは好きなように生きている。けれども・・・・飼われている、結局は飼われている自由だ。人はもっと真に自由なのだ、ということだろう。
自由、英語では「フリーダム」、そして「リバティ」。フリーダムは日常的な自由を言い、リバティは圧制などから解放された自由を指すということ。自由にも色々か。
三代目魚武濱田成夫は「フリーなんかと一緒にするなよ。俺様は自由だぜ」と言い放った。「俺様は自由だぜ」、僕もよく呪文のように唱えたものだ。すると、不思議と元気になれた。何かで傷ついた時、何かに躓いた時、あなたも心の中で呟いて見ると良い。「俺様は自由だぜ」、不思議と勇気が湧きます。
長渕の歌にもありますね。「目的のない自由に身を任せて生きるくらいなら俺は死ぬまで一睡もせずカラオケ齧った方がマシだ」。無目的な自由はあまり意味がないということか?。モラトリアムな奴らが、「自由だ」と叫ぶことを批判したのかな?。ただそうだとしても、フリーダムの方をでしょう。リバティなら、自由自体が目的であるから。
二十歳くらいの時、自由の女神の指輪をしていた。金の指輪で、友達に保証人になってもらいローンで買った。気に入ってた、ごつくて。シルバーリングはよく見たけど金は珍しくて、カッコ良かったなぁ。・・・・自由の女神アメリカの独立100周年の時に、フランスが記念に贈ったものだ。そして自由の女神が贈られてさらに100年後、僕は生まれた。僕の生まれたその日の四日後が、アメリカの独立200周年日だったから、かなり盛り上がってたんだろう、けど僕にもちろん記憶はない。
エコーズの歌「フリーダム」。「どこまでが俺の自由、どれとどれが俺のもので、いつからが俺の自由、見張られながら恋してたエイティーン」という歌詞。「真夜中に二人でこの街抜けだし、北斗七星目指してアクセル踏んだ、何もかも自分達で始めたけれど、三日もせずに自由に飽きた二人」と続く。自由って言うのはエネルギーが必要だ。さらに続く歌詞「縛られることに僕ら、あまりにも慣れ過ぎてる、自分達で決めることが面倒臭くて流されたエイティーン」。流されることは楽だ。自由よりも楽であることを選ぶ人もいるだろう。自由って自分で決めること。自分で決めるとは、責任全部自分持ち。自由であるとは覚悟が必要だ。自由であり続けるとは覚悟が必要。自由で在り続けるのは辛いかもしれない。自由であるなんて、本当は辛いだけかもしれない。それでも自由。真の自由って素晴らしいと思う、まるで他人事のように言ってしまうけど。