説明書不要、一言で十分

数年前のこと。仕事での講習会へ、仙台に向かうライトバンの中に、僕と、前から知り合いの先輩と、所長と、新しい先輩。何かの話から前からの知り合いの先輩が、僕が車で日本中を旅して回った話をした。それにいかにも「いいなぁ」的な輝きの眼を寄こす新しい先輩。その先輩もそう言うのに憧れたのかなぁ。そういやバイク乗りだしね。でっ、所長とその先輩にいくらか質問され、いくらか説明する僕。東北と北海道と沖縄以外は全部回ったことなど。でっ、一通り話も終わり、所長がね、所長が言ったんですよ。
所長「何市に言ったのよ」
僕「えっ、何市。・・・・(さっき全部の県回って色々行ったって話したけどなぁ)いや、何市って言うかいっぱい行きました。」
前から知り合いの先輩「何市でなくて、何しに、何やりに行ったって言う意味じゃね?」
僕絶句・・・・・。旅自体が目的だっしょ。さっきからさんざん説明しましたけど。
でっ、数年後、1Q84を読んでいて、キーワード的に何度も出てくるあのセリフで、その時の絶句を思い出した分けです。
「説明しなければ分からないということは、説明しても分からないということだ」
僕が車で旅をした、と聞いただけで、新しい先輩は僕の思いを理解した。その後の説明後にも所長には、僕がなぜ旅に出たかが分からなかった。いくら説明しても分からないことだったろう。「こうで、こうで、こうなんですよ。でね、こうで、こうで、こんなに素晴らしいんです」「だから結局何しに行ったのよ?」と、こんな不毛な会話が続いたことだろう。
「説明しなければ分からないということは、説明しても分からないということだ」
A君「俺、金髪にしたいんだ」
B君「いいねっそれ」
C君「えっ、なんで金髪になんかしたいの」
「説明しなければ分からないということは、説明しても分からないということだ」
分からないから悪いとかダメだということじゃない。ただ性質が違うと、分かり合えないこともある。