現代詩もロックも死んだ?

日本の詩人で一番有名なのは、谷川俊太郎ではないだろうか。教科書にも載っているし、僕が小学生の頃の教室の黒板の上にも、木のプレートに書かれた谷川俊太郎の詩が飾られていた。
「現代詩」というカテゴリーがあるが、「詩」とどう違うのだろうか。「シミリ」と「メタファー」の使い方とかもあるんだろうけど、基本的に関係ないか?。辻がもう少し若い頃、谷川俊太郎に直球で質問している。「谷川さんは現代詩において、どの位置にいらっしゃるのですか」。それを聞いた谷川俊太郎は「おい、現代詩なんかと一緒にしないでくれ。私のは詩だよ」と答えたとか。それを聞いた辻は、谷川さんが背負っている詩の、あるいは現代詩のその大きさを知ったとか。
田村隆一ならどう答えただろうか。多分大きな声で笑い飛ばし、粋なジョークで返したことだろう。
北村太郎なら・・・・黙りこくって答えなかったかな。鮎川信夫なら、論理的に説明しただろうか。寺山修二なら質問に質問で返しただろうか。いずれにしても「ロックはもう死んだ」と語る評論家がいる中、一万歩譲ってロックが死んだのならば今の状況、現代詩はとっくに死んでいると言えるだろう。
ただ、詩もロックも街を映す鏡だ。詩が死んでいるなら、ロックが死んでいるなら、それは街も死んでいる。評論家も死んでいる、とっくに。