トムとハックを間違うな

日本全国の子ども達。今は夏休み真っ盛りというところでしょうか。僕が子どもの頃、夏休みといえば、朝はラジオ体操、午前プール、昼は「あなたの知らない世界」を観て、午後からザリガニ捕り、魚釣り、カブトムシを追いかけ、公園で野球したり、自転車で警察ゴッコしたり、まぁとにかく外で遊んでいた。誰もがトム・ソーヤーだったという分けだ。
ところでこのトム・ソーヤー、自由の象徴というか、冒険の象徴というか、「大人になった今も僕の中のトム・ソーヤーはじっとしていない」とか、いかにも子どもの冒険心のシンボル的になっているけど、マーク・トゥエインの原作を読むと、トムはそれほど自由奔放という分けではない。この原作を読んだのがもう15年も前であるから、僕の記憶が間違っているかもしれないが、誰もがイメージするトム・ソーヤーよりは、大人達とうまくやっている感じだったような気がする。
そして本当に自由奔放だったのは、トムの友達のハックルベリー・フィンだった。「トム・ソーヤーの冒険」の最高の名場面は、最後の方のハックがトムに探し出された場面だろう。それは・・・・・。
まるでホームレスのような生活をしていたハック。物語の終盤、彼は金持ちの家へと引き取られる。そこではおいしいご飯が毎日用意され、学校にも通わせてもらうことに。しかしある日、ハックが突然失踪する。みんなハックのことを心配する中、トムによってドラム缶か何かで居眠りしているところを発見される。「どうしたんだハック。さぁ戻ろう」というトムに、ハックルベリー・フィンはこう答えた。
「毎朝同じ時間に起きて、毎日同じ時間にご飯を食べ、毎日同じ場所へ(学校)と出かけていく、そんな生活が僕には耐えられないんだ。」
このハックの言葉こそが、みんなのイメージする「トム・ソーヤー」ではないだろうか。時間にとらわれず、規則にとらわれず、安定にとらわれず。まさに日々冒険、日々自由。そして、そう言うハックを、規則正しい生活の場所へと再び戻したのがトム・ソーヤーです。戻ったら船長ゴッコで遊んでやる、という駄賃をぶら下げて、まるで大人が子どもを丸め込む手段で。