先生、僕の教科書に誰か牛乳をこぼしちゃった

小学から高校卒業まで、何人の教師に出会ったのだろう。良い先生ももちろんいたが、正直こんなんで良いの?という先生もたくさんいた。例えどんなに良い先生でも、矛盾を感じたり、ムカッと来たりはするもので、それは教師も人間だからもちろん仕方のないことでもある。そんな完璧な先生、あるいは完璧な人間と言う言い方も出来るかもしれないが、まずいないだろう。
だが、だがであるが、僕が高校三年生の時の担任の先生は僕にとっては完璧だった。一つの矛盾も感じたことがなかったし、僕自身は一度もムカッとしたことがなかった。気の短い先生ではあった。が、その気の短さも、相手を選ばず平等で(不良にもオタクにも)気持ちが良かった。時に間違えると、素直に謝った。学校の先生ともなるとエリート意識でなかなか、まして生徒になんか謝れるものではないが、その先生は実に潔かった。博識であり、そして勉強家だった。図書室で一度広辞苑を引いているところを見たことがあって「なにしてんの?」とタメ口で聞く僕に、「分かんないことがあれば広辞苑で調べれば一発だ」と少しだけ照れながら教えてくれた(その数年後その図書室から後輩を使って広辞苑をいただきました)。いやーホントいい先生だったなぁ。
そんな先生が授業の時に話してくれた話が忘れられない。親はスゴイ、という話だったが、先生がまだもう少し若い教師だった頃の話。自分の生徒が川で遊んでいて行方不明になった。それで先生も現場に駆け付け、そして間もなく生徒は水死体で発見された。その姿は見るも無残だったらしい。水死って言うのはかなり大変なことなると聞いたことがある。臭いもすごいし、とにかく見た目が見るに堪えなくとても近寄れなかったとか。その素晴らしき先生さえも距離をおく死体。そこに遅れて駆けつけた父親が、走り寄るとすぐさまその死体を抱きかかえ「○○○(名前)寒かったろ。寒かったろ。○○○、寒かったろ」と体をさすったとのこと。それを見た先生は、親ってスゴイなぁ、ある意味凄まじいとさえ、しみじみ思ったとのこと。
僕はその話を思い出すと、今でも背筋に電気が走る。その場面をイメージして目頭が熱くなる。その話をしている時の先生の表情も忘れられない。何かが・・・・・・。先生は多分、その父親の姿を見て、自分の生徒の水死体に近づけなかった自分を、許せず、背負っているのだと思う。父親のような教師になりたいと思ったのではないだろか。