とある確率論的話

サイコロを振る。どの目が出るかは6分の1の確率。6回振って、6種類の目が出るとは考え辛いが、例えば60回、例えば600回、例えば6000回、振れば振るほどにその確率は正確になって行くはず、6分の1という確率が。
では例えば1回目を振る。1が出たとしよう。2回目を振る。また1が出た。では3回目。1が出る確率は少々低くなるだろうか。いや、常に6分の1の確率があるだけだ。常に6分の1。だがある人に言わせると、1以外の目を出そうとする力が働くと言うのだ、6分の1の確立へと向かう為に。例えば赤と黒のビーズ。ビンにランダムに詰め込み、シャッフルする。きれいなまだら模様となるのが、「確率」であると思うが、そうはまずならずに、ある程度の塊、ある程度のまだら、そんな感じで確率論的にはアンバランスとなるだろう。それがギャンブルで言うところの流れであると、またある人が語っている。
例えばマージャンをやっていて、まったく同じ実力の者4名だったとして、けれども今日はAが一方的に勝ち、あくる日はBが一方的に勝つ。同じ実力の者同士なのだから、毎回点差がきっこうするのが確率論的には正しいのだろうが、そうはならないのが流れで、けれどもやはりは100回も半チャンをすれば点差は無くなるんだろうな、きっと。
表か裏かで2分の1。表、次も表、また次も表が出た。ではあなたは次にどちらを選ぶ?そろそろ裏だと裏を選ぶ?まだ流れは表にあると表を選ぶ?どちらにしても常に2分の1、その後の感想は人間の心が生む不純物のような気がしない分けでもない、確率論的に。だって、今の表と、次の表は、繋がりがあるとは思えないから、確率論的に。
関係ない話だけど、30万分の1以下の確率ならば、まず起こらないと断言していいらしい、数学論的に。でも、例え1万分の1でも、まず起こらないと断言できるような気がするんですけど。これは数学論ではなくて、国語の話ですかね。