オンザロード30「時空を越え天草四郎に会う」

じめじめと湿った朝だった。僕は熊本城にやって来た。忍者でも出てきそうなその建物。天下の三名城と言われるだけあって、確かに素晴らしい。が、僕はここのところ歩き詰めで、足が悲鳴を上げていた。熊本城の敷地はかなり広く、やはり僕はここでもかなりの距離を歩かねばならなかった。階段を上がるたびに、筋肉痛の苦痛に耐えねばならなかった。それでも僕は歩いた。その敷地を余すことなく、端から端まで。
そしてその近くの夏目漱石内坪井旧居へと。ここはド・ロ神父記念館のような温かさがあった。夏目漱石をもっと読んでみたくなった。夏目漱石とは現代で言えば村上春樹か。この例えがすでにナンセンスであるのは百も承知。けど、時にナンセンスも良いものだろう。・・・夏目漱石は作家の給料を約束させて、つまりは生活を約束させ、小説家となった。当時はそのことを「ダセェー」と思ったものだが、今なら分かるなぁ。僕も大人になったのか。ただダサくなっただけか。あの頃の自分が、今の自分を見たら間違いなく言うだろう、「ダセェー」って。どれだけ説明しても、結局言われるだろう、「ダセェー」。それだけもう分かり合えなくなっているのだ、十年前の僕とは、多分。人は変わる。容赦なく変わる。酷いほどに変わる。寺山修二が言っている、「人は成長などしません。ただ変化するだけです」と。僕は成長なんてしなかったのかもしれない。ただ外部からの力に、変化して行っただけかもしれない。
ジャスコで、パンツ、靴下、シャンプー、ヒゲそりを買った。
サルパラダイス号は島原諸島を走っていた。遠くへ来たことを実感させられる風景。ここもキリストの街。本屋に入れば、キリスト関係の本がズラリと並ぶ。確かここで、遠藤周作の本を買ったような気がしているが、メモ帳に特別記されてはいなかった。
街中を走っていると、不意に天草四郎銅像と墓が現れた。僕は車を止め、天草四郎の墓に手を合わせる。そしたら突然、天草四郎とは自分ではないか、という想念に捕らわれた。四郎と言えば子どもにして、大人を引き連れ島原の乱を起こしたと言われている(大人達が子どもならば刑も緩いだろうと四郎に押しつけたとも言われているらしいが)。それは早熟だった自分に重なったが、そんなはずはない、僕のいつもの悪い癖だ。いつだってドラマティクになりたがる。ちなみに三輪さんも自分が天草四郎の生まれ変わりであると言っているとのこと。
雨は土砂降りになっていた。前がもう見えないほどに。まるで数百年前のかなしき出来事が、涙雨を降らせているかのようだった。ワイパーもほとんど機能していない。悲しみはこれほどまでに深いのだ。何百年涙を流しても、決して癒されないほどの悲しみだ。この地にいると、島原の乱をリアルにイメージできる。島原半島へと向かう人々の魂までも。僕はまるでタイムスリップでもしたかのように。時空の壁を越え、そして島原の地に立った。