わずか数カ月の奇跡の軌跡

入社以来ずっと赤字だった我チーム。黒字なんて体制的に不可能に近い事と思っていた。
昨年の冬の入口、僕は我チームのトップに立った。春先メンバーも揃い、やっと黒字化へ向けた仕事に集中する体制が取れた。
なぜいくら頑張っても赤字なんだろうか?、僕はとりあえず現状ある見積もり書を疑った。やれやれ、確かにこれは酷かった。右に倣えでずっと作られてきたであろうこの書達よ。売れば売るほど赤字となるパターンも多かった。そこから変えた。
次に既存のお客を洗い直した。僕はもう坂本龍馬ヨロシク、我チームの過去を全部洗濯するつもりだった。洗濯にも順番を付けた。重点的な場所へは何度も足を運んだ。
次に新規獲得を目指した。獲得した新規は、少しずつ太らせた。
別の分野にも目を向け、なんでも売った。
問い合わせがあれば、電話で済ませずに必ず足を運び、顔を見せ、体全体で話をした。
とりあえず、なんでも受けた。なんでもできると僕は言った。でも、中には出来ないこともあった。それでも僕はなんでもできると言い続け、それについて最大限の努力をした。
我チームにある日一人の男が現れた。彼は経験豊富で、知恵がよく回った(時にそれは悪知恵であった)。遠き町から数度来ては、僕にたくさんのものを置いて行ってくれた。
なるべくは我チームで全てを処理した。我チームは、僕に実に協力的だった。たくさんのトラブルもあったが、協力はいずれツリーとなり、てっぺんに見事なイルミネーションの灯りを点けた。
入社以来ずっと赤字だった。その以前からだからもう10年は多分・・・。
僕はやれることを全てやろうと思い、そして実際やって来た。思いつくことの全てを・・・・・。
そして7月とうとう花が咲きましたよ、おかあちゃん。わずか数カ月の奇跡・・・・。