昭和初期のインテリは言った

先日次男の発表会を観に行った。地元の保育園はお寺で運営していて、入口の門のところには筆字で書かれたある言葉が貼られていた。僕は何度もそこを通過しており、多分その筆字はだいぶ前から(それは何年も前から)貼られていたんだろうけれども、それに気付いたのはその日が初めてだった。
それは小林秀雄の言葉だった。小林秀雄と言えば、昭和初期くらいのインテリジェンスで、アルチュールランボーの詩を手掛けていて、中原中也と繋がりがあり、中原中也の彼女だったかな?素子という名前だったかと思うけれども、その素子さんを中也から奪った男だったはずで、僕の中にある知識と言えばその程度であり、その言葉はどうやら有名な言葉であるはずだったが、脆弱な僕はこの時初めてその言葉を知った。あるいは健全であるからこそ、初めて知ったのかも知れなかったが・・・。

「生き延びるためには、一度死ななければならない」

と書かれていた(はず)。生き延びるためには一度死ななければならない・・・・例えば「生きる為には」だったら、なんとなく分かる比喩であるが、「生き延びるためには」の時点で死が迫っている表現であり、死が迫っている状態で、死なねばならないのであればそのままのような気がするが、それもまたメタファーで、だからどういうことですかと、ある程度の仮説は立てられるも、本当の答えはなんなのだろうか、人は分からない時には検索をするのだよと言ったのは伊坂幸太郎であったが、僕は人ではないのか検索はせずに、今夜も一人悶々としてる。
ただ、時々(本当に時々)、あの日以来、このワードを、思い出す場面があった。自然と思い出しては、しみじみとした。それが答えであるのかもしれない。