ブルーハーツ集団に「1985」が聞きたいと迫る僕達

ブルーハーツ集団というのはブルーハーツのファンクラブのことだ。正式名は「ブルーハーツのみんなで何かことをおこそうとする集団」だったかな?、なんかそんな感じ。都道府県ごとに会員番号があって、確か僕は秋田県の84番だったと思う。ファンクラブ会員として任命する的な賞状が送られてきて(会員証の代わり)、嬉しくて額に入れて部屋に飾っていた僕に母は、「こんなもので子供喜ぶと思って」どうたらこうたらと文句を言っていた。子供騙しだ、と言いたかったのだろうが、それでも僕はとても嬉しかった。
中学校の公衆電話からファンクラブによく電話をかけていた。例えば名曲1985のこと。この曲は1985年のクリスマスライブで、入場者全員にそのレコードが配られ、そこで演奏されて以来、ブルーハーツが封印した曲だ。つまりもう聞けないという意味だった。どうしても聞きたかった。ドラムの梶クンも名曲だったと語っていた、演奏したかったと(1985の封印は梶クン加入前のこと)。何かの雑誌に歌詞だけが載ったのが、聴きたい願望を余計に煽った。友達とどんな曲か想像し語り合った。我慢しきれずに自分で勝手にメロディをつけた(数年後僕はこの曲を不本意ながら聞くことになるのだが、この時の作曲とほぼ同じでマジでビビった)。1985は、聞いたこともないくせに、僕の中でリンダリンダ、人にやさしく、ブルーハーツのテーマ、と並ぶ殿堂入りの歌となった(僕の中の殿堂です)。ファンクラブに電話して「どうしたら聞けますか」と聞いた。電話口のお姉さんは「無理です」と言った。「どうしても聞きたいんです」と僕。「どうしても無理です」とお姉さん。僕はこの内容の電話を三回はかけた。
数年後ブルーハーツは解散。これによりブルーハーツのメンバーとは関係ないところで、のぼせ上がった商業主義がベストアルバムやライブアルバムを連続して発売する。そしてとうとう「1985」までもが組み込まれたベストアルバムが発売されてしまうのだ。もちろん聞きたかった、もちろん聞きたかったが、ブルーハーツの封印を、商業主義が無視して勝手に解いてしまったことが(ブルーハーツ以外が決して手をかけてはいけなかった)悲しかった(とてもとても悲しかった)。ノートの隅っこに「連発されるベストアルバムに消費されていくブルーハーツを喜んだのは誰か」と書き込んだりもした(辻仁成のエッセイの、消費されるコクトーを笑ったのは誰か、のパクリですね)。
電話もかけていたが手紙を出したこともある。「ヒロトの歌」というのを作詞して送りつけ、これをヒロトに作曲して欲しいという途轍もなく恐ろしい内容のものだった。しかもかなり情熱的にお願いしたような記憶がある。ちなみに「ヒロトの歌」作詞内容を記憶の範囲で掲載してみる。

血管切れても歌ってやるぜ
アキレス腱なんか関係ねえ
首振りダンス 3メートルジャンプ
おれの名前は甲本ヒロト
聞きたい奴は聞いていろ

君は青空の下で
ゲームボーイをやりながら何を考えているのだろう
リンダリンダな気分で行こうよ
君のために歌ってやる

首が落ちても歌ってやるぜ
生首のままで構わねえ

とまあこんな感じだったような・・・・。

ちなみにブルーハーツ集団とは別に「ブルーハーツを愛する会」というのを自分たちで結成してもいた。青すぎた頃の、青すぎる心の持ち主たちの話でした。